高校受験失敗から学んだこと 不合格体験記

※2021年に執筆し2023年に加筆しています

筆者の故郷である群馬県では今日、公立高校入試の合格発表があったそうです。

私が受けたのはもう7年も前のことですが未だに鮮明に覚えています、それは落ちてしまったから。

ネガティブなこと?だと思う方が多いはずですが、振り返ると悪いことばかりではなかったような気がします。もちろん、それは時間が過ぎたということもありますが、それだけではありません。

大学卒業を間近に控え、学生が終わる今が振り返る最後の機会になりそうなので残そうと思い書きました。塾の宣伝とかでは当たり前ですが、合格者の声しか載っていません。今回は不合格者の立場から書いてみます。

ちなみに落ちた高校は、旧制中学の流れをくむ県のトップ校(どこの県にもありますよね)。最近もねとらぼ調査隊で堂々の第一位にランクインしていたあの高崎高校です。ちょっと前に話題になっていた自民党下村博文議員をはじめ数多くの卒業生がいます。

【地元在住の男性が選ぶ】子どもを入学させたい群馬県の公立高校ランキングTOP8! 第1位は「高崎高校」【2023年最新調査結果】(1/4) | 高校 ねとらぼ調査隊

 

 

テストを受けてる最中から落ちた予感がした

試験のとき、明らかに自分ができていないとわかりました。賭けは失敗であったと。それまで何度も模試を受けているのでそれと比べてです。賭けと書いたのは受けた高校が合否ライン半々くらいだったためです。もう少し補足説明すると、中3の開始時には合格率は10%程度、そこから週3~5回の塾で必死の勉強で上げて来ました。15歳なりのプライドだったのかもしれません。

嫌な予感がしつつも合格発表へ

落ちた気しかしませんでしたが、奇跡を信じて高校へ。でも心では奇跡があるような気がしていました。当時(現在はどうでしょうか)は受けた高校で合格者の受験番号が張り出される仕組みでした。自動車免許みたいな感じです。一応インターネットでも見れますが、実際には合格者は発表後すぐに手続きをしなくてはならず、行く選択肢しかなかったのです。

合否結果は……

いよいよ張り出されます。受験番号が早い方だったので(今でも番号を覚えています)すぐにないことに気づきました。そして受かって喜ぶ歓喜の中でその場を立ち去るのです……

喜ぶ事自体は頑張った結果が伴ったことなので全く悪いことではないのですが、地元では超有名政治家を多数輩出した名門校だったこともあり、テレビカメラとか新聞のカメラマンや記者がものすごく多く、映り込まないように急いで駐車場まで逃げていきました。想像しやすい場面なのかなとは思います。とにかくあのお祝いムードの中で落ちるのは本当に辛いものがあります。文章で書くと伝わらないかもしれませんが、これほど嫌なことが大学を卒業する現時点ではありません。

いくら合格する可能性が高くないとは言っても、正直落ちたときのショックは半端なく大きいものです。ショックは自分の想像を遥かに超える辛いものでした。自分なりに頑張ってきただけに心に穴が空くような感覚を覚えました。15歳にしてはあまりにも大きすぎるものでした。

ちなみにテレビには映り込まずに済みましたが、落ちたしまった高校の学校新聞的なものに写り込んでいたそうです。高校の友人の兄弟が通っていたので偶然見かけたそうです。

自分だけではなく

駐車場に急いで戻る人たち、自分だけではなかったのです。他にも同じ境遇の人が沢山いるのです。受かった人は手続きでしばらく来ないので、急いで帰る人達は全員落ちた人なのです。そんな人達を見た私は、自分だけじゃないんだなあ、そう思いました。

入学前のガイダンスで

ここには同じ境遇の人しかいません。理由は私の高校(私立)では、公立より前に入学を確約すれば公立の入試日にガイダンスだからです。あのときの同じ境遇の人が沢山いました、実は県内では有名な規模の大きい塾に行ってたので、同じ塾の顔見知りもいました。かつて、「〇〇高校で同級生になろう」そう思い切磋琢磨した良きライバルとこんな形で再開するとは… 

このガイダンスあまりにも訳ありすぎますが、実は親のほうが現実を受け入れられていなかったりします。もちろん本人だって多かれ少なかれ引きずっていますが、それなりに現実を受け入れるしかないのです。受験って本人より親のほうが真剣になっているとはまさにこのことだと今になって思います。

落ちた経験は強かった

落ちた経験を活かすか、いつまでも引きずるかで変わってくるかと思います。私は恵まれた方で高校での楽しい生活を送ることができ、おかげで半年くらいかかりましたが上手く切り替えることができました。でも心の底では思うことがあります。だからこそ、次の大学受験では…… そう思いながら、落ちた経験を無駄にはしないと。

そして、高校生活を送る中で自分よりも優秀な人が沢山落ちていた事実を知ります。わかってはいましたが、自分は優秀なのに落ちてしまったのではなく、自分は決して足りなかったからだと。周りが見えるようになりました。

後日談・大学受験

行きたい大学には不合格となってしまいました。ですが、ここからが15歳の辛い経験が活きてきたと思いました。実はこの不合格、補欠合格というやつでわずかに点数が足りませんでした。そのため、あとちょっと…と悔やんだものの、まだ受験が残っていたことからすぐに気持ちを切り替えることができました。落ちたことに変わりはない、そう思うようにしたのです。人生の早いうちに挫折をしたからこそ、大変な状況下でも自分の気持ちをある程度コントロールできるようになりました。結局、国公立の中後期試験まで粘れたのも早く気持ちを切り替え、頑張って前を向くようにしたからだと思います。

後日談・就職活動

2度の失敗でこのときには更に強いものになったような気がします。受験とは比べ物にならないほど数を受けて落ちるもので、最初のES提出から内々定が出て就活が終わるまで半年という長期戦になりました。辛かったものの、落ちるのは縁がないだけなので、次頑張ろうという気持ちであまり引きずらずに済みました。振り返りはするものの、概ねすぐ次に切り替えられたのは2度の失敗からでしょうか。特に無言(サイレントお祈り)での不合格時には落ちたと割り切り、次への行動ができたことは自分の強み?だったのかもしれません。コロナもあったので大変さで言うならば一番だったはずですが、そこまで感じずに済んだのも過去の失敗のおかげなのかもしれません。

そして、就職して同期で同じ課に配属された彼が、まさかの同じ日に同じ高校を受験して、合格を勝ち取った側でした。あのときどうにもならないほど突き落とされた気がしましたが、何年か経てばまさか同じところにいた。人生どうなるかわからないものです。不思議な縁ですね。

 

さいごに

頑張れば必ず報われるという嘘?に気づき、現実を突きつけられる事実。現実では上手くいかないことも多々あり、世の中の厳しさが15歳で身にしみたのです。

受験に限ったことではなく、人生の早い段階で大きな挫折をすることって大事なことだと思います。筆者の場合は15歳で人生が変わるくらいの大きなことでしたが、ここで挫折をして自分を変えることができたからこそ、今それなりの人生があると思います。ifはありませんが、もしあのとき合格していたら、その次や更に次に来る試練に耐えられないどころか、きっと成功体験に囚われすぎてしまったような気がします。

受験では合格者だけでなく不合格者も出てしまいます。毎年この時期になると同じような辛い思いをする人がまた今年も、、、という気持ちになってしまいます。

しかし、失敗からは代償は大きいですが、成功体験以上に多くのことを学ぶことができる気がします。よくある合格体験記よりも本質的なことを掴んでいるのは不合格体験談です。不合格という立場上そうしたものが出回ることはあまりない気がします。15歳の失敗は自分の人生にとっていい意味で必要なものだったのかなと思います。悪いことばかりではないです。

ですが一人でも多くの人の希望が叶うようになればいいなと思いました。教育実習が中学校でしたが、そのとき彼ら彼女らには誰にもこういう思いはしてほしくないなと思いました。